FIRE(Financial Independence, Retire Early)ムーブメントが、日本でもどんどん大きくなっています。FIREとは、「経済的自由(=FI)」と「早期退職(=RE)」の2つの意味からなる言葉。前者を主な目的とする人と、後者を目的とする人とでは、めざすべき姿がだいぶ違います。その点についてまとめると、なぜFIREをめざす動きが若者を中心に増えているのかがはっきり見えてきます。
「FIREに興味がある人は78%」
2021年にネクストライフが10〜60代の100人に対して行なった「FIREに関するアンケート調査」の結果です。
その興味のある人に対して、「FIREに憧れる理由について」聞いたところ、以下の回答となりました。
FIREに憧れる理由
「自由な働き方に憧れる」:27人
「会社にとらわれずに自分らしい働き方をしたい」:23人
「若い時に一生懸命働いて一定の年齢になったら働かずに生活したい」:15人
早く悠々自適な生活がしたい:13人
つまり、「FIREに憧れる人」のうちの2/3が「自由で自分らしい働き方」を実現するためにFIREをめざしているのです。
逆に「FIRE後は働きたくない」という意向が見えるのは23%しかいません。とりあえず稼げるだけ稼いだら、ある程度の年齢になったらピッタリ仕事をやめたいと考えているようです。
「早期退職」と「経済的自由」 どちらをより望むかで大きく違う
ここから見えるのは、
①「本当に働きたいこと」という自己実現のためにFIREをめざす人
②働き切って、悠々自適の生活を実現したい人
の2種類に大きく分かれる点です。
①でめざす「自由で自分らしい働き方」とは、以下のようなものがあります。
A会社に依存せずに、時間と場所に制限されない働き方(フリーのウェブライターやウェブディレクター、フリーランスライター、デザイナーなど)
B若い頃にお金と本当にしたいことを天秤にかけた結果、捨てた後者や社会人になってからなりたいと思っていた職業を選ぶための手段(カメラマン、クリエーター、作家、その他)
Aはノマドワーカーのように、住む場所も自由で、例えばリゾート地などで暮らしながら、カフェや屋外でパソコン1つで仕事をするイメージ、
Bは経済的に不安定だが、当たれば富と名声が得られ、こうなりたいと願う職業というイメージです。もしくは、収入は少ないけれども自分が本当にしたい仕事、その仕事に就くためには数年修行や勉強、資格取得が必要な仕事、などです。
夢を諦めないためには、「親ガチャ」は重要な要素でもある
一度は安定を求めて就職した人がめざす「自由への切符」がFIREというわけですから、いずれも経済的な不安がなくなることが、新たなジョブチェンジの必要条件なわけです。
最悪、それでお金が稼げなかったとしても、家族が路頭に迷うことがないだけの不労所得がある。だから、「清水の舞台」から飛び降りられるんですね。
はっきり言って、「働かなくても暮らせる」だけのお金があれば、誰も就職を前提に人生の振り幅を限定しようとなんて思わないはずです。
私の奥さんは、有名な美大の油絵科を出ていますが、デザイン事務所への就職を経て、現在はフリーのデザイナーをしています。彼女は大学卒業から数年はアトリエを借りて、「作家」になる道を模索していました。しかし、それを諦め、ビジネスの世界に入ったのです。
一方で、妻の友人の中には今も作家として活動している人がいます。奥さん曰く、「働かずに創作活動をし続けるためには、実家が金持ちじゃないと無理」と結論づけていますが、あながち大袈裟ではないと思います。
社会において、金があるだけでその人は「チート」。流行りの「親ガチャ」は、夢を諦めないためには重要な要素なのです。
そうでなければ、人生を賭けて、赤貧と戦う覚悟を持ちながら、成功するまでやり続けるほかありません。しかし、ほとんどの人は、それを続けることはありません。「夢を追い続けられない」からです。
FIREの本質は「選択の自由」を得ること
そんな人にとっては、もう1度夢の切符を得る方法が、FIREなわけです。
したがって、FIRE=「もう働かない」ということではなく、自分の好きなことに没頭できる、自分の自由な働き方を得る、という「選択の自由」を得るというのがFIREの本質に近いと思います。英語で言うところの「choice」ですね。選択肢を持てる、と言うこと。これが大きいのだと思います。
FIREとは、仕事や会社に振り回される人生からの卒業
もう1つは仕事や会社に振り回されなくて済むと言うこと。
終身雇用が終わっただけでなく
デジタルの及ぼす影響が巨大になり、産業そのものがディスラプト(創造的破壊)されてしまう危険性が高まりました。デジタルによって参入障壁が壊されただけでなく、ゲームのルール自体も変わり、企業がいつ陳腐化して、ビジネスが成立しなくなるか、先が読めない時代になりました。
つまり、自分が被雇用者として、いつまで働けるか、働けたとしてもその条件は悪いものになるかもしれない、そうした先が見通せない不安を我々は抱えながら働いているわけです。
そうした不安を打ち消すのが、「経済的自由」です。
将来への漠然とした不安から決別するために、収入を増やすべく資格や勉強をし、入金力を高めるために節約をし、お金を増やすために投資に勤しんでいるわけです。
私の場合はここで書いているように、投資家の犬になることを自ら望んでMBAを取得し、経営幹部になると言う夢を果たしたいと考えています。
同時に、ある程度の年齢になったらそうした重責からは解放されて、自分のためだけに仕事をし、自分と家族のためだけに時間を使える環境に移行したい。そのための行動を開始しています。そして、社会に対して何らかのインパクトを与えたいという願望に近い欲求も抱えています。
つまり私も、「働きたくない」などとは微塵も思っていないのです。
結局、多くの人は、社会の歯車になって、先の見通せない職場で時間・場所・職務などの制限の中で、ストレスにまみれて働くことに「NO」を突き付けたいのだと思います。
FIREがムーブメントになった理由は 現実的な人生の解決策だから
しかし、その現実から逃れることは、これまでは「夢物語」でした。だから宝くじを買うなどして「一攫千金」を夢みる人が多かったのだと思います。
ところが、現実的で抜本的な人生の解決策が、我々の前に現れたのです。それがFIREです。だから、多くの人が飛びついたのです。
莫大なお金を貯めることはできなくても、一定水準の金融資産を貯められれば、あとはお金に稼いでもらいながら、細々とでも暮らしを営むことができる……
そうしたささやかな幸せを得たいと思っているわけです。
FIREは、行き過ぎた資本主義市場から生まれた新しい生き方
もちろん、日本におけるFIREムーブメントはまだ始まったばかりで、外資系企業で働くなどして十分な富と名声を得た上で人よりちょっとだけ早めにリタイヤした人たちを除けば、持続的な成功事例(つまり、最期まで全うした)はほぼありません。あるとすれば、元々都内の地主の息子が無職(不動産賃貸業)で遊び暮らせる例ぐらいでしょう。
数年後には「悲惨!FIREして後悔した人たち」のような記事も色々出てくるかもしれません。それでも、「自分らしく生きる」ことに価値を置き、その達成のために高い目標を設定してクリアしていった人たちは後悔なんてしていないはずです。
後悔するのは、そのムーブメントに踊ってしまった人。目標もないし、ただ働きたくないだけの人がFIREを宣言しても、単にそれは正規の労働市場からドロップアウトしただけです。うまくいかなければ、元に戻るか、それが叶わなければ非公式のブラックな労働市場に身をやつすほかないでしょう。
とくにいまの20代は、30代以降とは明らかに価値観が違います。
消費に価値を見い出さず、自分にとって「居心地の良い」環境を最も重視する生き方です。贅沢に興味はなく、自由が欲しいのです。
「r>g」の行き過ぎた資本主義市場の仕組みにいち早く気付いて、労働者階級からの脱却を実行した人だけが実現できる、自由の道だと思います。